その1 ともだちの家が民宿なった 1970年当時、私の家の近所にA君が住んでいました。 A君は、確か私より1才、年上。小さい頃から、一緒によく遊んでいました。 A君の、お父さんとお母さんは、 奄美大島の喜界島から大阪へ来られた方でした。 1970年、万博開催の年になり、A君の家に奄美大島の親戚から 万博見物に行くので、泊まりたいとの手紙が来ました。 A君の家はアパート。決して広い家ではありません。 当時、奄美大島から大阪へ来ることは、とても大変な事だったでしょう。 A君ちでは、断ることも出来ず、親戚がやってくることになりました。 親戚が来てからは、A君ちでは,てんやわんやの大騒ぎ。 折角、大阪まで来たからってことで、宿泊予定日数も大幅にオーバー。 A君のお母さんから、泣き言が出る始末でした。 後年、この話をすると、やはり、大阪育ちの人の中には同じ様な体験を された方が、大勢おられるようです。 大阪に実家があり、就職などで大阪を離れた家族が帰ってくる場合はまだ、 いいようです。 つまり、 関西以外(家狭い、家族少ない) ↓ 【帰省】 ↓ 大阪(実家、家広い、万博見物のみ) となりますが、A君の様な場合、 関西以外(実家、家広い、家族多い) ↓ 【来阪】 ↓ 大阪(家狭い、関西地方観光も) となるため、大阪側の負担がとても大きかったようです。 私の親戚は、ほとんどが関西地方に住んでいますので、 家が民宿になることは ありませんでしたが、当時の人たちの万博見物に賭けるこのパワー、 やはり現代では、考えられないものではないでしょうか。