その2 さあ万博だ!町をきれいに



1964年の東京オリンピックで、日本中が熱狂、そして、
翌1965年9月14日、「大阪で万国博、開催決定」の文字が踊りました。

東京オリンピックで、東京の街が道路整備などが進み、
大きく進化した姿を見ていた、
大阪の大人たちが、「さあ、次は大阪の番や!」と思ったことでしょう。

そして、いつの頃からか、
私の生まれ育った家の近くの、城東貨物線という名の鉄道の線路脇に、
「さあ万博だ!町をきれいに」
と書いた看板が立つようになりました。

看板というには、あまりにも小さい、
10cm角で長さ1mぐらいの白い鉄柱に、ペンキで黒々と、
「さあ万博だ!町をきれいに」。

小学校へ通う道に、その看板は立っていたので、毎日、毎日、朝な夕なに、
「さあ万博だ!町をきれいに」。

誰が立てたのか分らない、
大阪府なのか、東大阪市なのか、自治会なのか、国鉄なのか、
白地にただ、この12文字、
「さあ万博だ!町をきれいに」。

この看板を見るたびに、
「ああ、万博がはじまるんかあ、外人さんも、ようけ来んのかなあ」
はたまた、
「大人は、町をきれいにしてるんかなあ、このへんの工場、汚いけど」
とか、勝手なことばかり思ってました。

時は、過ぎて・・・。

万博は終わったけど、その看板は、誰にも撤去されず、残ってました。

高校生になって、バイクで走る道に、
「さあ万博だ!町をきれいに」。

車の免許を取って、若葉マークで初めて走った道に、
「さあ万博だ!町をきれいに」。

1980年に、現在、住んでいる所へ転居するまで、
その看板は、街を見つづけていました。

明るい未来を見据えた、とっても前向きな、この看板。昭和40年代初頭に、
この看板を立てた当時の大人たちは、「オイルショック」「公害」「バブル崩壊」と、
決して明るいと言えない21世紀の現在を、どう見ていらしゃるのでしょうか。

すいません、現代の大人(私)は、本当に前向きじゃなくって・・・。