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その4 大阪1970アンソロジー



大阪万博が開催された頃、大阪の街にはどんな事があったのか。
とりとめもなく、綴ってみると・・・。

「事件/事故」では、何と言っても、「天六のガス爆発」。
1970年4月8日、大阪市北区、天神橋筋六丁目交差点付近で、
地下鉄谷町線の工事中、漏れたガスに引火、爆発し、
道路を覆っていた鉄板などが吹っ飛び、78人死亡、311人重軽傷。
150mにわたり、道路が陥没、道路両側の、商店、
民家は炎に包まれました。

大阪万博では、事故翌日の4月9日、ガスパビリオンが、
犠牲者に哀悼の意を表し、1日休館となりました。

交通関係では・・・、

1969年 阪神高速東大阪線開通。

地下鉄は、谷町線、千日前線、中央線 相次いで開通、延長。
1970年、御堂筋線新大阪、江坂間、北大阪急行、江坂、
千里中央(仮駅)間が開通。

そして、万博会期中には千里中央(仮駅)から現在の中国自動車道の
部分を使って、万博中央口駅まで営業され、新幹線からの客を運ぶ、
「エキスポ電車」として活躍しました。

万博関連では、阪急千里線に万博西口駅が開業しました。
(現在は、ありません。)

その他、近鉄の上本町、難波間が開通。
難波がターミナルとして、大きく発展しました。

このように都市交通が整備される中、1969年、大阪市電が、
1970年には、トロリーバスが、相次いで廃止されました。

街の方に目を向けると・・・、

1969年、阪急梅田に阪急三番街・川のあるまちが、
1970年には、難波、虹の街(現・なんばウォーク)がオープンし、
キタとミナミの地下街が整備されました。

そして、1969年には天満橋のOMMビルが、1970年には、
船場センタービルがオープンし、大型商業ビルが市内に現れ始めたのも
この頃です。

また、1970年にはFM大阪が開局、この頃からミナミのアメリカ村が、
開拓され始め、大阪に新たな若者文化が生まれるつつあったようです。


このようにして眺めてみると、今の大阪の街の姿が出来上がったのが、
正しく、1969年から1970年頃と言えるのではないでしょうか。

そう言えば、私の生家の前の川が無くなって、道路になったのも
この頃でしたし、近所の空き地が、無くなっていったのもこの頃。

私の心の中では、「1970年以前」と「1970年以降」では、
思い出の風景が違います。

今の私は、「チクロ」や「合成着色料」や「合成甘味料」で育った、
不健康な子供のなれの果てで、疲れたオヤジではありますが、
ちょっと昔の大阪を実体験しているのが、誇らしげに思える今日この頃です。