その5 テレビっ子と大阪万博



1970年頃の子供達の好きなモノを挙げるとすると、
特撮ヒーローを外すわけにはいきません。

「ウルトラマン」を始めとして、「マグマ大使」や「仮面の忍者赤影」など、
昭和40年代前半の時代を代表する、TV文化とも言えるでしょう。

もちろん、私も熱狂した子供の一人です。

物心がついたころには、既に白黒テレビが有り、
テレビ漫画(アニメじゃなくって)や、特撮ヒーローに熱中、
所謂、「テレビっ子」になりました。

その頃は、まだ、幼かったので、TV画面の隅に出ている、
「カラー」の文字の意味が分からず、後年、友人の家で初めて
カラーテレビに遭遇したときは、少なからずショックでしたが・・・。


さて、そんな子供向けヒーロー番組にも、
大阪万博を取り入れたモノがありました。

そのひとつが、TBSで放映された「ウルトラマン」です。

1967年1月8日と15日の2週に渡って放送された「怪獣殿下」。

南海の孤島ジョンスン島で学術調査中に古代怪獣ゴモラザウルスを発見。
日本で行われる万国博覧会に出展するために、いけ取りすることになり、
麻酔銃で捕獲。ジェットビートルで大阪に搬送中、麻酔が切れ、
目を覚ましたゴモラは六甲山中に墜落。
暴れ回るゴモラは、やがて大阪に現れ、大阪城を壊しウルトラマンと死闘を
繰り広げる。そんなストーリーでした。

劇中、当時完成したばかりの朝日放送の電波塔、大阪タワー(1966年完成)が、
ゴモラの対策本部として登場するなど、万博に向けて変貌しつつある当時の大阪を
見ることが出来る作品です。

(当時、大阪の朝日放送はTBSとネットされ、NET(現、テレビ朝日)と
毎日放送がネットされていました。1975年3月31日に、現在の形態である
テレビ朝日−朝日放送、TBS−毎日放送となりました。)

ウルトラマンは未来の話なのに、なぜか大阪万博が出てくるのかというのは
ご愛敬ですが、1967年の時点で、大阪万博が社会の関心事になっていたことは
確かなようです。



もうひとつは、ちょっとマイナーな「チビラくん」という番組。

1970年4月1日から翌71年9月24日まで、所謂、帯の番組で、
全432話、ウルトラマンと同じ、円谷プロの製作で日本テレビ系で放送。

この「チビラくん」、ユーモラスな怪獣一家の物語なのですが、
「チビラくん」一家が住む家が、大阪万博の住友童話館でした。
(もちろん、外側だけの登場ですが・・・。)

住友童話館は9個の楕円形のカプセルが、空中に浮いたような形で、
数あるパビリオンの中でも、最も未来的なデザインのモノでした。
確か、当時、小学館の学習雑誌の付録に、この住友童話館の
紙工作が付いていたことを記憶しています。



1970年の特撮番組は、この「チビラくん」と、
ウルトラマン、ウルトラセブンの戦いのシーンを再編集した
「ウルトラファイト」の2本ぐらいしかなく、
やはり、大阪万博の「べらぼー」さが、
特撮番組をも、凌駕してしまった感があります。

(と、いうか、単にブームとブームの狭間だったんですけどね(^_^;))。

翌、1971年には、「帰ってきたウルトラマン」「スペクトルマン」
「仮面ライダー」の放映が開始し、またもや、テレビっ子は、テレビの前に
釘付けになるのでした。


さてさて、ここからは余談です(笑)。 ウルトラマンのシリーズで、関西地方を舞台にした物語は、 「怪獣殿下」を含め、3作品、作られています。 「ウルトラセブン」では1968年1月7日、14日、2週連続で、 「ウルトラ警備隊西へ」が神戸を舞台に放映されました。 また、その30年後、1998年5月9日、16日の2週連続で、 「ウルトラマンダイナ」の「滅びの微笑」が大阪を舞台に放映されています。 特に、「ウルトラマンダイナ、滅びの微笑」では、大阪城付近が戦いの 舞台になるなど、「ウルトラマン、怪獣殿下」を、多分に意識した作品に なっています。 子供と一緒に見た「ウルトラマンダイナ」では、 いきなり、会社の近くから怪獣が出てくるシーンがありました。 何かとても嬉しかった、「テレビっ子」親子でした。 『関連サイト』 円谷プロダクション http://www.m-78.com/