その6 大空に描く



昭和40年代、男の子のあこがれの仕事といえば、
プロ野球選手、漫画家などと並んで、必ず挙がっていたのがパイロット。

大人になっても、その夢が捨てきれず、
プラモデルやラジコン、写真撮影などが趣味という方が
たくさんおられます。

そんな、パイロットの中でも特にあこがれの的が、
航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」。

大阪万博の開会式では、この「ブルーインパルス」が活躍しました。


「ブルーインパルス」は1958年、航空自衛隊、浜松北基地の
開庁記念日のセレモニーとして、日本初のジェット機による
低空宙返りを行を行ったのが幹部の目に留まり、
1960年、第一航空団内に「ブルーインパルス」として正式に
発足しました。

1964年10月10日、東京オリンピックの開会式で、
国立競技場上空に五輪マークを描いた「ブルーインパルス」は
1970年3月14日、日本万国博開会式上空を、何と
「EXPO’70」の文字を描くことになりました。

東京オリンピックでの「ブルーインパルス」の活躍は、
時折、TV等でも紹介されるのですが、大阪万博での活躍は、
そう、語られていないのが残念です。

「ブルーインパルス」は、通常6機編成(編隊機4機、ソロ機2機)で、
アクロバットを行います。

オリンピックの五輪マークは、6機で離陸後、1機を予備機として、
5機がそれぞれ、輪を描くと言うものでした。

しかしながら、大阪万博で描くのは「EXPO’70」の文字。
この複雑なアクロバットを、6機の機体を全て使い、予備機無しで挑戦。
見事、成功しました。

その時の、文字を描く6機のフォーメーションが↓です。


#1:1号機(茶) #2:2号機(赤) #3:3号機(橙) #4:4号機(黄) #5:5号機(緑) #6:6号機(青)
「ブルーインパルス」は、9月13日の閉会式にも祝賀飛行を行い、 この時は「サヨナラ」の4文字を初秋の空に描いています。 以降、「ブルーインパルス」は機体をF−86Fから、T−2に変更。 1990年4月1日、大阪花と緑の博覧会では、大空に、 ハートマークを描き、 3代目の機体、T−4になってからは、 1997年 4月25日26日(現地時間)、アメリカネバダ州ネリス基地 で米空軍創立50周年記念行事へ参加。星(☆)マークを大空に描き、 1998年2月7日、長野オリンピック開会式では5機による レベルオープナーを成功させています。 しかし、この「EXPO’70」の文字を描くアクロバットは、 「ブルーインパルス」史上、最も難しく、また最も華麗であったのでは ないかと思っています。 私自身は、2代目の機体T−2時代に、数回、 実際にアクロバットを見ています。 一時、不幸な事故も有りましたが、これからもすばらしいアクロバットを、 続けて、子供達の大空への夢を、与えてあげて欲しいものです。 参考資料 J−Wings 2000年4月号 イカロス出版 『関連サイト』 ブルーインパルス公式ページ http://www.mod.go.jp/asdf/blueimpluse/