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その8 1970、M氏の場合



私がこのホームページを開設した時、ネット仲間のM氏より、

「私はソ連館のレストランで働いていたよ。」

との、告白(^_^;)がありました。

「是非とも、万博の思い出を教えてください。」と、
お願いしていたのですが、

「働いてばかりで、万博自体の思い出は、あまり無い。」
とのことでした。

この度、オフ会でM氏に、お話を伺う事が出来、
また、ご本人の了承も頂きましたので、ご紹介します。


M氏は、1945年生まれ。

大阪万博当時は、食品関係会社の社員として、
ソ連館のレストラン「モスクワ」で働いておられました。

M氏の自宅は、万博会場に近く、自動車通勤が認められ、
通勤用に駐車場が1台割り当てられていたそうです。

勤められていた期間は、開会1ヶ月前の1970年2月頃から、
撤収の10月頃までの、約8ヶ月間とのこと。

自宅からも近く、もちろん会期中は入場フリーパスだったので、
「まあ、会期中にいつでも見物に行けるだろう。」と思っていたのが甘かった。

開会直後は、まだお客様も少なかったのものの、
そのうち、目の回るような忙しさ。

毎日、何時間も並ぶ入場者を見て、
「何も、そこまで・・・。」と思っておられたようです。


ソ連館レストラン「モスクワ」には
一階にカフェテリアレストラン、
二階にフルサービスのレストラン
地下にバーがありました。


ある日、カフェテリアのレジの開きが悪くなり、
閉店後にチェックしたところ、レジの奥に壱万円札が詰まっていました。

客の多さに日々の売り上げ集計がアバウトになっていて、
多少の誤差には気が付かなかったとのこと。凄い話ですね。

また、二階レストランでの目玉は一人前5万円のスペシャルメニューでした。
新聞社がよく取材に来たそうです。

初任給が3万少しの時代ですから、現在では30万円以上の値打ちになるでしょうか。
メニューは最高級キャビアがドカッと出たり子豚丸焼きとか色々。
十人で食べても食べきれない量だが十人で一人前の注文は当然お断り。
子豚の丸焼きでも美味しいところを少しだけ切り取りボーイがサービスをする様な感じでした。
何人か実際に注文もありました。

そして、暑い夏にソ連館に入る人の列がぐる〜と周りに出来て、
そこでアイスキャンディーを売ったらバカ売れ!!

さすがに、各パビリオン中、1日平均14万人の最高入場者数を誇ったソ連館。
そのレストランも凄まじい状況だったようです。


やがて9月になり、大騒ぎのうちに万博は閉幕。
後始末に1ヶ月程度がかかり、他のパビリオンをほとんど見ることなく、
M氏の大阪万博は去ってゆきました。


お話を聞かせてくださいました、M様、ありがとうございました。 裏方のお話が直接聞かせていただいて、 あらためて大阪万博の凄さが認識できました。 しかし、レジの奥に壱万円札が詰まっていて、誰も気が付かないとは。 現代の売り上げ管理システムでは、想像できないですね。 んじゃ、売り上げごまかしてもわからんかったんやね(笑)。