9.奈良/京都の“大阪万博”

その1.ネパール館の飾り窓

奈良市内、興福寺、猿沢池の南側、古い町屋が残る「ならまち」。
そんな「ならまち」の中に万博遺跡がありました。

それは、ネパール館の飾り窓です。


万博当時のネパール館。この正面の窓です。

 

「ならまち」にある元興寺(がんごうじ)の居宅に、この飾り窓がありました。

 

窓のところにあった説明文は以下の通りです。

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ネパールの伝統的飾り窓
この飾窓は、1970年開催の大阪万国博でネパール館に使用されたものです。
強固で重く、構造材的です。
デザインは、ロータス・パルメット・ガルーダ・ライオン・ドラゴン等、伝統的な
ヒンズー教の色彩が濃いものです。
日本・ネパール両国友好の証として、元興寺に寄贈されたものです。

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厚みもあり、重厚なで立派な細工の飾り窓です。
37年間の時間がさらに、いい味を出してるようです。

なお、公式記録 第1巻の306ページ、ネパール館の記録を確認しましたが、
特に「飾り窓」に関する記載はありませんでした。

関連リンク
「元興寺 - Wikipedia」

[Special Thanks To miinoさん、すずよさん]

その2.古河パビリオンの相輪

大仏殿で有名な世界遺産「東大寺」にも、万博遺跡があります。
「七重の塔」古河パビリオンの相輪です。


万博当時の古河パビリオン。天頂部のが相輪です。

 

大仏殿の東側に古河パビリオンの相輪があります。
古河パビリオンの七重の塔は、約1200年前、東大寺大仏殿前に2基あった
「七重の塔」を模していて、万博閉幕後、相輪が寄贈されました。

 

当時、古河パビリオンの高さは86メートル。
この相輪だけでも23メートルの高さがあります。

 

古い町並み、伝統的な建造物が数多く残る奈良。
そんな町に似合う、万博遺跡でした。

その3.万博協賛看板

「万国博を成功させよう」の看板は、万博終了後も街中で見かけることが多かったのですが、
さすがに40年近く経つと、めっきり見かけることはありませんでした。

そんな看板が古い町並みの残る京都の一角にありました。



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こちらは、相当痛んでいますが、同じ「万博協賛看板」です。



そのほか、昭和の看板がいろいろと残っている街でした。