6.大阪の“大阪万博”弐

その6.四天王寺 庚申堂

大阪万博の会場で、パビリオンではなく無料休憩所として、全日本仏教会が
建築した「法輪閣」という建物があります。

 
万博当時の「法輪閣」。
無料休憩所とのことですが、当時の資料を見ると野点なども行われていたようです。

大阪、四天王寺の「庚申堂」の本堂は、1618年に建立されたのですが、1945年の空襲で焼失し、
全日本仏教会からの寄進で、万博の「法輪閣」が移築されたものです。

 

当時の雰囲気そのままに移築され、大切にされていることがよくわかります。

【関連リンク】
『四天王寺ホームページ』

その7.NTT研修施設

大阪万博で話題になり、その後普及した珍しい例の「携帯電話」。
その祖先とも言える「ワイヤレスホン」が展示されてのが「電気通信館」です。

「電気通信館」といえば、黄色の未来的な建物が有名ですが、
奥に「三角公園」と呼ばれる建物が併設されていました。

  
万博当時の「電気通信館」。矢印の部分が「三角公園」。

この「三角公園」が、NTTの施設として、大阪府下に移築されています。



 
 
壁や窓などは改造されていますが、航空写真を見れば「三角公園」の特徴的な形は、
当時のそのままであることがわかります。

その8.交通科学博物館

大阪万博を見るために新幹線に初めて乗った方も多いようです。
その初代新幹線「0系」の、初期型をそのまま文化財として保存しているのが、
大阪の弁天町駅にある「交通科学博物館」です。

 
 

「新幹線のあゆみ」のコーナーに、ほんの少しだけ「大阪万博」関係の展示が。

 


「新幹線開業15周年記念」の立体絵葉書の中に、万博会場をデザインしたものがありました。

万博会場のすぐ横を新幹線が疾走しているなんて、70年代風のシュールなデザインですね。

また、過去の優等列車のヘッドマークが展示されているところに「万博号」のヘッドマークがあります。

 

企画展『さよなら0系新幹線展「夢の超特急」の時代』より、大坂万博関係の展示を。
(平成20年10月11日(土)〜平成21年1月12日(月・祝))



 

左:万博輸送完遂記念タイピン 右:新幹線3億人乗車記念絵葉書

常設展示では「新幹線開業15周年記念絵葉書」になっていましたが、
企画展では「新幹線3億人乗車記念絵葉書」となっていました。

 

「動くパビリオン 〜万博輸送〜」万博当時の新大阪駅のホームの様子。

 

全車両に「エキスポマーク」を貼り付け。

企画展『関西大学鉄道研究会写真展「よみがえる あの時代」』より。
(平成21年1月3日(土)〜3月22日(日))

 


阪急3000型万博準急。写真は十三駅。
当時、十三駅に神戸線と千里線の渡り線があり、ヘッドマークには「万国博西口−高速神戸」とあり、
神戸線から万国博西口駅への直行であることがわかります。

関連サイト
『交通科学博物館』

その9.OMMビル

大阪万博の前年に竣工した、天満橋の大阪マーチャンダイズ・マートビル
(通称、OMMビル)は、大阪を代表する、大型複合ビジネスビルです。
ここにも、万博遺跡?・・・というには微妙なものが残っています。

まずは南側、1階玄関横。

 

台座に「GOD MERCURY」と書かれた立像が、大阪万博のイタリア館に展示されていた、
ジャンボローニャ作の「メルクリウス」という像のレプリカです。


「EXPO70 イタリア館での展示」

イタリア館に展示されていたのは、1572年にローマのメディチ宮殿の噴水用に作成された
オリジナルで、フィレンツェのバルジェッロ美術館からの特別出品。

OMMビルの像の足元も銘版によると、大阪万博での展示のことも書かれてありました。
昭和47年に、OMM開館3周年記念に設置されたようです。

つぎに、1階エレベーターホール。

 

絵画「垂直都市 猪熊弦一郎 1968年」は、万国博美術館に出展されていたもの。 
公式記録の出展目録にも、所有者は「大阪マーチャンダイズ・マート」となっています。

本当に、遺跡というには微妙ですね(笑)。

関連サイト
『OMMビル』

その10.桜橋・敦煌

西梅田・桜橋東洋ビル地下街に珍しいものが残っていました。

中華料理「敦煌」。

 

こちらの店先に、「たべもの大阪有名店」と書かれた、大阪万博マーク入りの認定証のようなものがあります。

 

このお店は、万博当時に会場でラーメン店を運営されていたようですが、この認定証らしきものは、
会場内での運営時に使われたものなのか、当時、大阪を訪れる観光客向けに「この店は大丈夫ですよ」的な、
大阪府からのお墨付きのようなものなのか不明です。 

「料飲大学」「大阪府環境衛生営業研究所」をネットで検索しても出来てませんし、
お店の方たちも若くて由来はわからない模様です。

今では80歳を越える、このお店を運営するグループの会長が知るのみなのかも知れません。