×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

7.大阪の“大阪万博”参

その11.大阪の和菓子屋さん

大阪市内の、とある和菓子屋さんのショーケースに飾ってありました。

 

「大阪府生菓子協同組合主催 日本万国博覧会記念 全国和生菓子大品評会 金賞」とのこと。

 

盾の中には「太陽の塔」、「ソ連館」、「虹の塔」も。

 

このお店では、現在でも金賞を受賞したお菓子が売られていました。

その12.十三「喫茶 もみの木」

大阪市淀川区十三に、「喫茶 もみの木」というお店があります。

 

このお店のカウンターやテーブルは、ブリティッシュコロンビア州館に使用されていた丸太を使っています。

 

「ブリティッシュコロンビア州館」は、立派なもみの木で作られたのっぽのパビリオン。

 

このカウンターを入手して、万博の翌年に喫茶店を始められたとのこと。
当時のブリティッシュコロンビア州知事からの手紙も飾られていました。

 

バロック音楽が流れる、地元の方に愛されている素敵な喫茶店でした。

その13.大阪空港駐車場の大時計

大阪国際空港は万博の前年に、大型のターミナルビルがオープンして本格的な国際空港となりました。



駐車場にある大時計は「日本万国博記念」で建てられたものです。
建設当初は、大きな万博マークと共に開催までの日数が表示されていました。

 

元々は「日本万国博記念」とだけ描かれていたのですが、後年に「国際花と緑の博覧会記念」と
追加されました。

 

今でも近くで見ると、中心に大きく「日本万国博記念」と描かれていた跡があります。

その14.大阪大学の顕微鏡

大阪大学豊中キャンパス内にある「大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館」の常設展示、
「みる科学」のコーナーに、大阪万博のドイツ館で展示されていた「コッホの顕微鏡」があります。



 
 

展示室内は写真撮影禁止なので、展示品の説明文を記録してきました。

『コッホの顕微鏡』

この顕微鏡はコッホの門下生の北里柴三郎ら4人がコッホの結核菌発見を記念して、
1882(明治15)年にコッホに贈ったとされるものです。
プレートには「我らの偉大なる学者ロベルト・コッホ先生の世界的に有名な業績がベルリンで発表され、
承認された1882(明治15)年3月24日を記念して、師恩に感謝する門下生、
ベーリング、エーリッヒ、レフレル、北里」と、記されています。
1970(昭和45)年の大阪万博終了の際、西ドイツ館に展示されていたものを当時の
左藤府知事が成功裡に終わった感謝のしるしとして貰い受け、その後
「コッホ以上の大きな業績を上げてほしい」と知事より阪大に寄贈されたものです。

モノ自体は、別に万博っぽくもなく、普通の古い顕微鏡でした。

関連サイト
『大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館』

その15.戎公園(ザビエル公園)

ポルトガルとは古くから縁のある堺市には、ポルトガル館の万博遺跡が大切に保存、展示されています。



大阪府堺市にある戎公園(ザビエル公園)は、その昔、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを
手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡に作られた公園で、昭和24年にザビエル来航400年を記念して
「ザビエル公園」と命名されました。

 

このザビエル公園にあるのが、大阪万博ポルトガル館に展示されていたジョルジ・ヴィエイラの彫刻「東と西の接点」です。

 
 

W566×D294×H186(センチ)のステンレス製です。

公園の説明版には、以下の様にあります。

『東と西の接点』

ヨーロッパの西の果てのポルトガルと,アジアの東の果てに位する日本との初出合いを象徴する
ジョルジ・ヴィエイラの労作(1969年)は日本万国博のポルトガル館に多大の色彩を添えました。
数世紀に亙る日本・ポルトガル両国間の友好を謳歌し,万国博ポルトガルデ―に参加出演された
お礼の印に,ポルトガルが堺市に謹呈したものであります。

 

公式記録映画にも、ポルトガルデーにお祭り広場で行われた、鉄砲伝来の劇の模様が納められています。

関連サイト
『戎公園(ザビエル公園)』