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その4 「未来の電話」か、はたまた「おもちゃ」か



その昔、フィンガー5の流行歌では、電話の呼び出し音は、
「リンリンリリン」でした。

そうです、電話の呼び出し音は、どこでも「リンリン」だったんです。
それが「プルルル」が登場し、そうこうしている間に、
「チャララ〜」、メロディになり、最近では「和音」で呼び出し。

しかも、電車内でも、レストランでも、どこででも・・・。


1970年頃、まだ電話は貴重品だったと記憶しています。
家屋自体は古い我が家でしたが、電話は私が物心ついた頃には既にあり、
小学生の頃は、まだ、近所の方が電話を借りに来られてました。

その電話は、どっしりとした安定したデザインで、色は真っ黒。
真ん中に丸いダイヤルが鎮座する、往年のデザイン。
それが、玄関を入った所に、ここぞとばかり居座っていました。

子供には重くて大きい受話器。何か、電話をかけるのが、
一つの儀式のような、そんな特別なイメージがありました。


電気通信館は、オレンジ色の幾何学デザインのテントが、
イモ虫のようにつながった、パビリオンです。
その名が示すように、今は亡き「電電公社」の出展でした。

奥へ奥へと進むと、透明でたまご型の椅子が天井から吊られており、
そこで、体験できたのが、「ワイヤレステレホン」です。

VHSのビデオテープぐらいの、大きく、カラフルな受話器。
そして、その中に、数字の書いたプッシュボタン。
しかも、その名が示す通り、「電話線」が繋がっていません。

未来的デザインの椅子にすわって、ボタンを押して電話をかける。
「もしもし」電話の向こうからは、いつもの家族の声。
でも、「電話線」は無い。まさに未来の電話でした。

タネを明かすと、この電話、実際の無線の部分は館内のみ。
館内天井に取り付けられてあった受信機には電話線が繋がっている、
所謂、コードレス電話の子機みたいなものだったようです。

展示当時の設定価格が30万円とのこと。
1970年、東京の大卒初任給が37,302円。
平均月収が約5万円の時代ですから、月収の6倍ですか・・・。


時は流れて2000年。30年前、月収の6倍の「ワイヤレステレホン」は、
「ケータイ」と名を変え、何と、本体「0円」となっていました。

待ち受け時間が連続300時間、重量66g、電話番号登録500件、
Eメール機能付き・・・。

あの「黒電話」の受話器より、電気通信館の「ワイヤレステレホン」より、
遙かに小さく、しかも高性能な未来の電話が、今、
私のポケットの中にあります。

実現してます、30年後。
既に、固定電話をの回線数を上回って普及しています。
便利です、とっても。

でも、その反面、

いつでも、呼び出されて迷惑。
電車の中で大きい声でしゃべられると嫌だ。
いろんなの着メロが、うるさい。
車を運転しながら電話して、危険な運転をする奴が困る。

・・・。

やはり、便利なモノが急速に、安く、大量に、普及すると言うことは、
プラス面ばかりではなく、マイナス面をも生み出す、
顕著な例であると思います。

あの、30年前、玄関に堂々と鎮座していた黒電話。
リダイアル機能もEメールも出来ない、ただ、相手と話す機能だけだけど、
みんな、とても大事に使っていました。

安価、小型化、高機能化は、マーケットが求める電話の姿だったのでしょう。
しかし、安価、小型化、高機能化は、立派な「道具」だった電話を、
「玩具」化してしまった事は否めません。

30年前に「ワイヤレステレホン」の開発に従事された皆さんに、
現在の「ケータイ」を取り巻く世間の姿を、どの様に見ておられるか、
是非とも、お伺いしたいものです。


(こんな、偉そうなことを書いている私ですが、私の携帯の着メロは、
「世界の国からこんにちは」です。すみません、おもちゃにして。)


「ワイヤレステレホン」
実現度・・・・・・・・・★★★★★
女子高生御用達度・・・・★★★★★
通話料金ちと高い度・・・☆☆☆☆☆(次は、ここを安く・・・)